名物爺さんのお葬式
昨日に引き続き、宿主は亡くなったお爺さんの、お葬式の手伝いに行きました。都会育ちの私が、こちらに来て一番びっくりしたのは、お葬式でした。
都会なら全部業者に任せる所を、各家庭から男女一人ずつ手伝いに出て、出す料理から、通夜や葬式の段取り、進行まで、みんな同じ地区の人がします。うちも最初の頃は、二人で手伝いに出ていたのだけど、大所帯の酪農家と違ってうちは、二人ともいなくなれば民宿の仕事が満足にできません。お客さんにも迷惑をかけてしまうので、どちらか一人だけの手伝いにして欲しいと頼み、宿主が行くことになっているのでした。
田舎ですので業者もなく、昔は火葬するのも自分達でしていたそうです。私が手伝いに行ってたころは、お料理も全部自分達で作っていましたが、今では仕出しを頼むようになって、女性の手伝いは楽になったとか。亡くなったお爺さんは、95歳だったそうです。私は便利になったサロベツしか知りませんが、お爺さんの若かったころを、一度ゆっくり聞いてみたかったと思いました。
コメント
名物お爺さんの人生はどんな時計が刻んでいたんですかねぇ?
宿主さん製作のような時計ではないよねぇ?
もっと無骨でゴツゴツしててそれでも正確に時を刻んでいて、家族に見られるけど、大黒柱に掛けられた時計はちょっと上から家族を見守る。(あくまでイメージですけど)
名物お爺さんてことなので人とは違っていたんでしょうね。
宿主さん製作の時計、最近老眼で(汗)、木箱といい写真小さくてケチの付け所が分かりません。ポップアップとかでもう少し大きい写真見れるようにならないのでしょうか?
こちらやっと2/28にヤ○○ショッピングストアに支店出しました。すでに大赤字ですけど・・・
今年のGWは休み続くのでそちらに出かけようと思っていたのですが、とても忙しくなってしまい無理となりました。(涙)
私の時計はこんな時を刻めるかなぁ~?(爆)
Posted by: 従兄弟は煎茶君 | 2007年03月03日 00:08
サロベツフライングクラブ格納庫によく遊びに来ておりました。
特製の三輪自転車に乗り"交通安全"を願い近所を周遊していたお爺ちゃんでした。
クラブ員にとっては人気者で、若い頃特に戦時中の話を聞かせてもらったものです。
彼は戦時中、零戦の整備士でありその時の経験談やちょっとエッチな話など・・・
戦後は開運橋の近くで木材加工(大工)をはじめたと聞いております。
とても、明るく楽しいお爺ちゃんでした。
ご冥福を祈ります。
Posted by: 空飛佐助 | 2007年03月03日 16:40
>従兄弟は煎茶サン
写真は小さいのがミソです。いや、ネット通販するようになったら、ポップアップして、煎茶氏の通販を脅かす存在になりますので、覚悟して待っていてください。つうか、「今年は大ブレークの予感」と言うのがツボにはまって、宿泊予約が入るたびに心の中で「今年は大ブレークの予感」とつぶやいてしまうの、ど~にかしてください・・・。
>空飛佐助サン
戦後に開拓が本格的に始まって、豊徳や庄内地区の森林を伐採したとき、お爺さんが木工所を作って製材していたそうです。家や牛舎の木材は、お爺さんが製材した材木を使ったとか。あのノボリを立てた三輪自転車の勇姿、もう見られないなんて寂しいですね。。
Posted by: あしたの城 | 2007年03月03日 21:48