その5 お客さんの証言・昭和50年代の若者とあしたの城
昭和52年、乏しい資金で建てた宿は、客室3室15名定員。居間は8畳。サロベツ原野の片隅にひっそりと建つ小さな宿であったが・・・
【母ちゃん】
今回はゲストの方をお迎えしているんですが、お話を伺う前に、当時の宿の様子をちょっと皆さんに紹介しておこうと思うんですよ。まずこの写真は、昭和53年から乗っていた宿の車なんですけど、これすごいペインティングですね。
この頃のロゴは民宿ではなく貧宿あしたの城だった
【宿主】
うひゃあ、なつかしいなあ。これね、断っておくけど、俺が描いたんじゃないんですよ。宿の車を買ったとき、ヘルパーが「宿のロゴを車に描きましょうよ」と言うんで、ヘルパーの好きなように描かせたんです。そしたら、こんな絵を描かれちゃった。
【母ちゃん】
なんだか、タイヤから炎が噴き出しているように見えるんですけど?
【宿主】
描いたヘルパーは「イメージは【火の車】だ」って、言ってました。財政が火の車でしたからねえ。
【母ちゃん】
この車で、新婚旅行をした人がいるんですって!
【宿主】
そうそう、一緒に宿を建てたYが結婚して、「北海道を新婚旅行で回りたい」って言ったから、俺、「じゃあうちの車を使えよ」って言ったんです。で、Yもその気になってサロベツに来て、この車を見たときは目が点になって奥さんは半泣きの顔をしてましたねえ。
【母ちゃん】
そりゃこんな車では恥ずかしくて新婚旅行なんて出来ないですよ。
【宿主】
今の宿の車は、ロゴも何も描いてなくて分かりにくいって、思う人もいるかもしれないけど、車に何も描かないのは、このときの反動があるのかもしれませんね。
【母ちゃん】
あともうひとつの写真は居間の写真なんですけど、ずいぶんいろんなものがおいてありますね。
居間は8畳。そこにはいろんなモノが・・
【宿主】
ステレオ、本棚、それからジャムとか果実酒とかいっぱい置いていた棚ね。
【母ちゃん】
壁にも、いろんな張り紙がありますが。
【宿主】
同じように宿をやり始めた連中が、宣伝のためにポスターやチラシを送ってきて、張り出したら壁中ポスターだらけになったんですよ。昔は、本当にこういうチラシとクチコミだけが宿の宣伝だったからね。ポスター以外には、定期券の終わったやつとか、切符だとか、お客さんから送ってきてくれたいろんなものを貼りましたねえ。
【母ちゃん】
これはこれで、一種独特の世界を作り上げていますよね。現在の居間は、どっちかって言うとあっさりした内装ですから。
【宿主】
う〜ん、そうなんだけど。やはり車のペイントと同じで、今はチラシは置くけど、ポスターはあまり貼らなくなりましたね。やっぱりこれも昔の反動かなあ。
昭和50年代あしたの城を訪れたお客さんは圧倒的に学生など若者が多かった。
【母ちゃん】
さあここで、今回はゲストの方をお迎えしていますので、紹介したいと思います。昭和53年、宿をはじめて2年目の年に初めて訪れたAさんです。
ヘンな車はよく記念撮影の場になった
【宿主】
いよぉ、Aちゃん、もうすっかりいいおじさんになっちゃったねえ。
【Aさん】
川上さんこそもうすっかり白髪頭の爺さんじゃないですか。
【母ちゃん】
あ、あの、一応ここで、Aさんが、あしたの城に初めて泊まりに来た時の様子を伺いたいんですが。今(2003年)から25年前の話になりますが、あしたの城には、誰かの紹介で来たんですか?
【Aさん】
いやいや、なんというかね。稚咲内のバス停のところでバスに乗ろうと待っていたら、変な車が止まって、「イチゴ摘みに行こうよ」って声をかけられたんです。それが川上さんとの始めての出会いだったかな。
【母ちゃん】
はあ?
【宿主】
あっ、そうだそうだ、俺思い出した。8月の終わりで、ハマイチゴのジャムを作るために泊り客と海岸へハマイチゴを採りに行く途中だったんだ。で、採る人間が少しでも多いほうが良いから、バス停で立っていた青年に声をかけたんだ。
【Aさん】
俺がまだ学生の頃だったかな。夜行で朝早く豊富駅に下りて、海岸までの14キロをずっと歩いたんですよ。夜行で疲れもあったから、帰りはバスに乗って、そしてそのまま礼文島に渡ろうと思ってたんです。そしたら川上さんの車が来て、「イチゴを摘むのを手伝ってくれたら駅まで送って行ってやる」て言うんですよ。
【母ちゃん】
25年前のサロベツって、どんな感じでした?
【Aさん】
そうですねえ。原生花園にはレストハウスも、駐車場も木道も無かったですね。ただ、原野の真ん中を海岸まで行く道路が一本あるきりで。おまけに海岸の道々106号線も開通して無くてね。海岸にでるとそこで道路はぷつんと切れているんですよ。海岸にあるレストハウスだってその頃は無かったし、稚咲内の漁港だって今みたいに立派じゃない。とにかく何にも無くて、それがまたすごく良いなあと思って。おまけにその日は天気がよくて、利尻島がきれいでねえ。イチゴを摘みながらもう少しサロベツにいてもいいかなと思ったんです。
【母ちゃん】
それでついつい、ヘンな車のヘンな人の誘いにのってしまったんですね。
【Aさん】
イチゴを摘んだあと、「実は宿をやっていて、これから帰るお客さんを駅まで送っていくから、その人を迎えにいったん宿に帰るから」と言われて宿に行ったんです。そしたらヘルパーがいてね、「別に急ぐ旅でもなかったら、宿泊していかないか、うちはお客さんが少なくて・・」と言われて。「いや、俺は帰ります」と断って、帰る人と一緒に豊富駅まで行ったんだけど、・・また川上さんと一緒にそのまま宿に帰ってきちゃった。で、結局礼文も行ったけどまた戻ってきて1週間いたかなあ。
【母ちゃん】
それが運のつきというか、人生を誤ったんですかね。あっ、いやいや、それで奥さんと出会われたんですから、運が開けたんですね、きっと。
宿を空けて、お客さんと遊び歩く父ちゃん
【母ちゃん】
Aさんは次の年には3週間も泊まってくれたそうですが、その頃の父ちゃんって、ずいぶん好き勝手に宿をやってたって聞きましたけど。
【Aさん】
そうそう、買い物なんかお客さんと一緒に行って、お客さんの食べたいものみんな買ってきちゃうから、ヘルパーさんに「社長!経費や利益のこと、ちゃんと考えてくださいよ!経営が成り立ちませんよ」ってよく怒られていましたよ。
【母ちゃん】
普通、社長が従業員に言う言葉ですよねえ。。。
【Aさん】
俺がはじめて行った時に電話がついたんだけど、昼間遊び歩いていて、結局誰も宿にいないんで、電話で予約を取れないんですよ。もちろんその頃は留守番電話の機能なんてないからね。これじゃあ電話がついた意味がないよね。
【母ちゃん】
最初の頃はお客さんが少なかったと言うけれど、それはなんだか当然の結果のような気がするなあ。。バスが来る時間に家にいればよかったから、なんて言うけれど、車やバイクの人にはどうしたんだろう?
【宿主】
う〜ん、当時はねえ、国鉄の周遊券で来る人がほとんどだったから、車やバイクで来る人のことなんて考えなかったね。バイクブームはそのあとだし。
【Aさん】
国鉄の周遊券は、期間が20日あって、鉄道乗り放題だったでしょ。学生はまた学割が効いたから、すごく割安だったよね。若い人はほとんどが鉄道を利用して旅行をしていたんじゃないかなあ。
【宿主】
そうだねえ。よくみんな周遊券の交換をしていたよ。20日間使い切らずに帰る人と交換しながら、長く北海道にいたりしてね。今よりも路線がたくさんあって、周遊券で道内どこでも行けたなあ。
【Aさん】
今じゃどんどん路線が廃止になって、周遊券も無くなって、鉄道の旅ってすごく不便で割高になったね。
【母ちゃん】
世の中便利になっていくことばかりかと思えば、反対に不便になっていくこともあるんですねえ。ここ近年うちに学生さんがあんまり来なくなったのは、周遊券や、鉄道の関係もあるのかしらん。普段車を運転しなれていない学生さんが、気軽に北海道に来れないですものね。
【宿主】
この手の宿に、学生さんが来なくなったと言う話は、最近よく耳にするね。今じゃ下手に北海道に来るより海外に行くほうが安くついたりする時代だし、ケータイの通信費にお金がかかりすぎて旅行する余裕が無いとか、いろいろ言われてるよね。でもねえ、取り巻く環境は変わっても、若者は変わったかと言うとそうじゃない。若者の気質は、今も昔も変わらないような気がするんですよ。
【母ちゃん】
若者の気質?
【宿主】
男はかわいい女の子を追いかける!この一言に尽きるね。
Aさんの、当時の話はまだまだ続く。そして「うそつき民宿」と言われるようになった「きつね鍋事件」とは。
