インド・ネパールでマラリア&盲腸になった話

宿をはじめてから5年の月日が流れた。何とかお客さんも増えていき、冬に出稼ぎに行かなくてもすむようになった宿主は、シーズンオフの自由な時間で、生まれてはじめての海外旅行をする決心をする。昭和57年30歳になったばかりの秋だった。

母ちゃん:今回も、ゲストでAさんをお呼びしています。Aさん、よろしくお願いします。

Aさん:こちらこそよろしく。

母ちゃん:いろいろなことがあった海外旅行だけど、まずインド・ネパールを初めての海外旅行先として選んだ理由を聞きたいんですけど。

宿主:そうですねえ。本当はね、インドとかじゃなくて、アフリカに行きたかったんですよ。

母ちゃん:アフリカ??

宿主:野生動物を見てみたかったんです。だからね、アフリカへ行ってみたかったんだけど、交通費とか高くてね、資金が足りそうに無くて・・。で、調べてみたら、インドにもアフリカと同じような野生動物がいて、それを見る自然公園とかあって、そして旅行費も安く済みそうだから、それでインドへ行こうと思ったんです。ついでにネパールで、トレッキングとかしようと思ってね。

母ちゃん:飛行機は、タイのバンコク経由で1年間のフリーチケット、ツアーじゃなくて、父ちゃん一人のフリー旅行だったわけですけど、英語とか全然話せないのに、不安とかなかったんですか?

宿主:不安はもちろんあったけど、それより日本を出てみたい、よその国を見てみたい、って言う好奇心のほうが強かったから、行けたんでしょうね。

Aさん:俺ね、宿で知り合った仲間とインドへ旅立つ川上さんを、成田空港まで見送りに行ったんです。そしたら、デイパックひとつを背負っただけでね。とても4ヶ月の予定で海外旅行へ行く人の姿とは思えなかったなあ。俺はそのとき、保険に入っていったほうが良いよって川上さんに言ったんだけど・・・

宿主:そうだったよなあ!だけど俺、風邪ぐらいしかひいた事がなかったから、まさかあんなふうになるとは思わなかったし。。

母ちゃん:う~ん、そうですかあ、じゃあそこのところは順番に聞いていきますね。私はインドの話って、ガンジス川のほとりで、ぼやっと長いこと居たというふうにしか、今まで聞いたことが無かったんだけど、動物が目的だったなんて知らなかったなあ。

Aさん:俺も、インドでどこへ行ったか、そういう話はあんまり聞いたことが無いですよ。

宿主:そうかなあ?ちゃんと三つぐらい自然公園を回ったんだけどね。「象に乗って虎を見るツアー」とかさ。でもねえ、そういう野生動物を見る自然公園って、外人ツーリストも多いから、何もかも値段が高かったんですよ。それで、三つほど回ったところで、動物はもうたくさん見たし、これで良いかなあと思って。そしてせっかく来たから、インドをぐるっと回ってみようと思ってね、主なところは、2ヶ月かけて全部行きましたよ。

母ちゃん:で、一番印象に残ったのは、ガンジス川のほとりですか?

宿主:ベラレスですかね、やっぱり。わりと有名なところなんだけど、ガンジス川で、沐浴したり、その横で死体が流れて行ったりとか、日本とは全く違うでしょう。すごいなあと思って。ただただすごいなあってね。

インドに2ヶ月間滞在した後、ベラレスから陸路を通り、ネパールに入った宿主は、ポカラからトレッキングに出かける。

母ちゃん:ネパールのトレッキングって、どんなコースを行ったんですか?

宿主:え~と、マチャ・・、マチャプチュレ、リ、・・・何だったっけ??

母ちゃん:????

宿主:忘れちゃったよ、名前!だってもう20年も前の話だもん。山の中に、現地の人が住む集落が点在していて、一日歩いたとこらで、その集落の宿に泊まってトレッキングできるコースが無数にあるんです。俺が行ったのは、そういう素人でも行けるポカラの代表的なトレッキングコースだったんだけど、テクテク歩いて3日目だったかなあ。なんだか体がゾクゾクしてきてね。

Aさん:おっ、ついに本題(?!)ですね。

宿主:うん、まあそれから熱が出てきて、自分では風邪の症状だなあと思ったんですよ。それで山の中の宿で1週間寝ていたんだけど、熱は下がらないし、飯も食えなくなってね。宿の人が、「インドに長くいたんなら、マラリアかもしれない」と言うんですよ。

母ちゃん:マラリアって言うと、聞いたことはあるけど、どんな病気なんでしょう?

Aさん:寄生虫による病気でね、蚊によって病気が媒介されるんです。マラリアに感染した蚊に血を吸われたときに、マラリアの原虫が体の中に入って、潜伏期間のあと40度ぐらいの高熱が続く、けっこう怖い病気ですよ。マラリアに免疫の無い人が感染したりすると、死んでしまう人もいるんですよ。

母ちゃん:そんな怖い病気が、山の中で発病しちゃったんですか!

宿主:宿の人は、「こんな山の中じゃ、病院も無いから、ポカラの町に下りたほうが良い」って言うんだけど、もう歩けなくってね。ポーターを二人雇ったんですよ。一人は俺を負ぶって、もう一人は、荷物を持ってね。それで俺が3日かけて歩いた山道を、交代しながらわずか一日で街まで下ろしてくれましたね。

母ちゃん:さすが、プロっていうか、健脚ですねえ!

宿主:それがねえ、ひどいやつらだったんですよ。町までの契約だったから、車に乗れるようなところまで来たら、とりあえずポーターに金を払って、病院までは、そこからタクシーを呼ぶことになったんです。それでポーターがタクシーを拾ってきたんだけど、病院までの運賃を聞いたら、べらぼうに高い。

Aさん:そういう国では、外人と見ると、相当に吹っかけるのが普通だからね・・。

宿主:俺は2ヶ月もインドにいたから、大体値段の相場ってもう分かるじゃないですか。今までだって、ぼったくられないように、値段の交渉は常にやってきたんだけど、こっちは今熱でフラフラでしょう。こんな病人からまで金を騙しとろうなんてあまりにもひどいと思ってね、「これはひどすぎる」と言っているうちに、自分でも興奮してきてね。

母ちゃん:病人だし、ポーターたちは父ちゃんを甘く見たんですね。

宿主:大声で怒鳴っていると、周りに現地の人の、人だかりが出来てきたんですよ。「どうしたんだ、どうしたんだ」「日本人か、お前どうしたんだ」ってね。俺は、「○○病院へタクシーで行くのに、こいつらは、こんなに金がいると言う、本当にそんなにかかるのか」って。「ネパール人はひどい、病気で動けない俺から、金を騙し取るのか」って、言ってるうちに悲しくなってきて、もう、やけくそになって、喚きまくったんですよ。

母ちゃん:騒ぎを聞きつけて、ますます見物人が増えていく・・、う~ん、情景が見えてきそうですね。

宿主:「ひどい、お前らはみんなひどい」って喚いていると、人垣の中から一人のネパール人が出てきて、「おい、日本人、そいつらは確かにひどい。○○病院までそんなにタクシー代がかかるわけが無い。でも日本人。ネパール人がみんながみんな、悪いやつじゃないぞ。俺がお前を病院まで連れて行ってやる」そう言ってね、俺を病院まで連れて行ってくれて、入院の手続きとか、みんなしてくれたんですよ。

母ちゃん:へえ~!!

宿主:そしてね、俺が入院している間、ほとんど毎日病院に見舞いに来てくれてねえ。「おい、日本人、どうだい、元気になったかい」ってね。

Aさん:よく、発展途上国に旅行に行くと、お金を吹っかけられたり、騙されたりして、気が休まらないって言うけれど、それは外人観光客を相手にするすれた人たちで、ほとんどの現地の人たちは、素朴ないい人たちなんですよねえ。。。

宿主:そこの病院で1週間入院したときぐらいかなあ。たまたま日本人の臨床検査技師が指導のために病院に来て、日本人がマラリアで入院しているって噂を聞いて、見舞いに来てくれたんです。

母ちゃん:異国で入院しているときに、日本人のお見舞いって、うれしいですねえ。

宿主:その人が、「ポカラの小さな病院にいるよりも、カトマンズの大きな病院に行ったほうがいい、日本大使館もあるから、何かあったときに心強いだろう。明日自分はカトマンズに行く用事があるから、一緒に連れて行ってあげる」って言ってくれてね。

母ちゃん:体が弱っているときに、日本人が連れて行ってくれるなんて、すごく心強いですよね。

宿主:それで、その日本人の人と一緒にカトマンズへ行くことになったんだけど、急に決まってバタバタと退院することになってね。ポカラの病院に連れてきてくれたネパール人に、お別れの挨拶も、お礼をすることも出来なかったんですよ。それがすごく心残りで、住所は聞いていたから、日本に帰ってから、お礼の手紙とともに、置時計を送ったんですけどね・・。

母ちゃん:喜んでくれたかなあ。

宿主:それがね、受け取ったとかいう返事は何も無かったから・・、ああいうお国柄だし、本当にその人の手元に渡ったのかどうか・・・・今となっては分かりませんね・・・。

Aさん:いやあ、ちゃんとその人の所に置時計は届いたって、俺は信じたいね。

母ちゃん:そうですよねえ。そして今でもその人の家に、置時計が飾られてるって、私も信じたい!

ポカラから、10人乗りほどの小型機でカトマンズへ日本人の臨床検査技師とともに行った宿主は、カトマンズの宿でマラリアの薬を飲みながら2週間ほど療養した。そしてなんとか体力が回復した宿主は、そのまま日本へ帰ろうとした。

母ちゃん:タイのバンコク経由のオープンチケットなので、カトマンズからバンコクへ飛行機でまず飛んだわけですね。

宿主:だけどね、実はそのバンコクへ向かう飛行機の中で、すでにお腹が痛くなってきていたんです。

母ちゃん:今度はお腹が!

宿主:まあ、動けるようになったとはいえ、本調子ではないし、そういう体調なんだろうとそのときは思っていたんですよ。

母ちゃん:日本へ向かう飛行機は、バンコクに着いた次の日の便だったとか。

宿主:そうです。だからとりあえず一泊バンコクで泊まらないといけないんで、ホテルを取ろうと思ったんだけど、どこも混んでいてねえ。腹はどんどん痛くなってくるし・・。

母ちゃん:でどうしたの??

宿主:あるホテルでね、日本人の宿泊者がいて、その人が相部屋で良いって言ってくれたんで、そこの部屋にいったんです。とにかくベッドで横になりたくてね。そのうちに脂汗が出てきて・・。その人が、「その痛がり方は普通じゃない、すぐ病院へ行きましょう」って言ってくれて病院に行ったら、盲腸だって。

母ちゃん:盲腸って、今でこそ病気のうちに入らないってぐらい手術も簡単だけど、処置が遅ければ死んでしまうんですよ。

宿主:そうなんです。「もう明日には日本に帰る飛行機が出る。手術するなら日本でしたいから、薬で散らしてくれ」って言ったら、「もう薬で散らせるような段階じゃない、今すぐ手術しないとお前は死ぬ」って医者が言うんですよ。

母ちゃん:今度はタイで手術ですかあ!

宿主:医者がね、華僑の人で、英語と筆談でやり取りしたんです。医者は、デインジャラス!とか、デス!とか、そればっかり言うし、筆談もね、死、死、死って、そればっかりですよ。もう俺は、「え~い!どうにでもなれ!」って、覚悟決めました。

母ちゃん:ほんとにまあ、一日、発病が遅ければ、日本で手術が出来たのに。

Aさん:そして・・ね、タイの日本大使館から、俺のところに連絡が来たんです。川上さんが手術を受けてお金が足りなくなったので、お金を送金するようにと。

母ちゃん:えっ、どうしてAさんのところに?普通、実家のご両親のところに連絡が行くんじゃないんですか?

宿主:いや、俺、実は親に内緒で行ったもんだから、言うとうるさいし・・、だから、貯金通帳とかAちゃんに渡していて、何かあったら頼むって言ってあったんですよ。

母ちゃん:あきれたぁ!

宿主:入院だけだったら足りたんだけど、手術となると金額が違うからねえ。で、所持金が足りなくなって、それで日本大使館から連絡が行ったんですよ。

Aさん:でまあ、すぐに送金はしたんだけど、みんな大騒ぎですよ。しかも手術したって言うんだから、大変なことになってるんだろうってね。俺、すぐにバンコクへ行こうとしたんです。

母ちゃん:Aさんがですか??!!

Aさん:パスポートを持ってるのが、仲間内で俺だけだったから。でもまず、「国際電話してみないか」ということになったんです。手術したってことだけで、詳しいことが分からないし、何か他に必要なものがあるかもしれないでしょ。で、だめもとで病院に国際電話をかけてみたら、川上さんにつながったんですよ!本人と話が出来て、ようやく事態が飲み込めて。

宿主:Aちゃんから電話が来て、びっくりしたよなあ。うれしかったけど、盲腸だから、後はしばらく入院するだけで、帰れるから、「来てもらわなくても大丈夫だから」って言ってね。でも手術するのがかなり遅れたから化膿して、傷口もなかなかくっつかなくて・・。2週間入院して、さらしで腹をびっしり巻いて、そして日本行きの飛行機に乗ったんですよ。

Aさん:みんなでまた成田空港まで迎えに行ったんだけど、ゲートから腹を抱えながら出てきた川上さんを見てびっくりしましたよ!唇はかさかさで、顔色は真っ白、皮膚も粉をふいたようになっていてねえ。本当に立っているのがやっとと言う感じだったなあ。。

そのままAさんの下宿に転がり込んだ宿主は、東大医科学研究所に通院しながら、マラリアの根治治療をうけたのだ。

宿主:マラリアはね、根治治療をしないと、再発するって聞いたから、専門医がいるところで一ヶ月間通院して、ちゃんと治したんですよ。

母ちゃん:その間、Aさんの下宿に転がり込んでご迷惑をおかけしたんですねえ。

Aさん:いやあ、けっこう楽しかったですよ。旅仲間が俺の下宿に、川上さんを見舞いに来てね。川上さんったら、みんなに腹の傷を見せて、マラリアと盲腸の話ばっかりして、いったいどこを旅行したかなんて、全然話が出ないんですよ。

母ちゃん:う~ん、今回だって、「インドはどこを回ったの」って聞いても、「ぐるっと回った」とか、「印象は」って聞いても、「すごかった」って、そんな程度だもんねえ。

Aさん:ネパールの一ヶ月間は、考えてみると病気で寝てるだけだし・・。やっぱり、マラリアと盲腸の話が強烈だからねえ。

母ちゃん:私、インドやネパールの写真を見たことが無いんだけど、カメラは持っていかなかったんですか?

宿主:いや、持っていったんだけど、リバーサルで撮って、あとネガをどこにやったかなあ??

母ちゃん:まあ・・思い出の写真をどっかにやるなんて、父ちゃんらしいと言えば、父ちゃんらしいかなあ。大変な目にあったインド・ネパール旅行顛末記だけれど、それでもいろんな人に助けられて・・父ちゃんって・・やっぱり幸運で、幸せな人だと思うなあ。

宿主:そうだよねえ、本当に・・・、旅先でも、日本に帰ってきてからでも、みんなに世話になって。。Aちゃん、俺、母ちゃんに家をオン出されたら、Aちゃんちに転がり込むから、その時はまたよろしく頼むよ!

Aさん:ダメですよ、もう!

母ちゃん:父ちゃん、ばかなことを言ってないで!3回にわたって、ゲスト出演していただいて、Aさんどうもありがとうございました。これに懲りずに、また遊びに来てくださいね!

すっかり元気になった宿主は、無事サロベツに帰り着いた。その夏の営業では、何度宿泊しているお客さんの前で、大きな盲腸の手術跡を見せたことであろうか!そして季節は巡り、宿主は初めてサロベツで冬を過ごすことになる。雪の無い長崎で育った宿主には、ある種憧れの生活でもあったのだ。

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