あしたの城再建へ…サロベツ原野も利尻も見える新しい土地で心機一転

平成3年10月20日。煙突火災によって商売道具である建物が、突然焼失してしまった。廃業も考えたが、今さら他の仕事をやれないことを自覚した宿主は、民宿を再建することを決意する。そのとき母ちゃんが、宿主が考えてもいなかった案を提案するのだ。

宿主:俺が宿をやるべきかやめるべきか考えていたとき、母ちゃんはもう先のことを考えていたんだよなあ。

母ちゃん:だって父ちゃんが、つぶしが利かないのは、分かりきってることなんだもの。民宿を再建するのは当然のことで、その再建をどうするか、密かに考えていたんですよ。

宿主:再建すると言っても、焼け跡を片付けて、そこに新しく家を建てるということぐらいしか俺は考えて無かったね。だって、その土地だって、10年以上地主さんに借りていて、やっと買うことが出来て半年しかたっていなかったんだよ。

新館の骨組み

どんどん形になっていく様を
見ているのは楽しい。

母ちゃん:だけどね、そういうのに縛られて、また同じ場所に建物を建てたら、今までのハンディをまた同じように背負うってことでしょ。宿に至るまでのひどい坂道もそうだし、おまけに業者が目の前の丘を削りだしたし。

宿主:その頃目の前の丘の土を、そこの地主さんが売ったから、ショベルカーが丘を削りだしたんだよね。静かな環境だったのに、丘の木が倒されて、むき出しの土が見えて、でも、景観が悪くなるから止めてとも言えなかったし。

母ちゃん:そういうのを考えると、火災は、この地を出る踏ん切りをつけるきっかけかもしれないと、密かに考えていたんです。でもこの地は、父ちゃんが若いころ仲間と宿を建てた、思い入れのある場所だったでしょう。父ちゃんが、場所を替わるのにすんなり賛成するかなあと、ちょっと言い出すのに気を使ったかな。。

宿主:いや、母ちゃんが提案した場所、つまり今の建物が建っているところなんだけど、そこだったらいいなって、俺もすぐ思ったんだよ。確か、結婚した次の年だったっけ、母ちゃんと一緒に行ったことあったよね。

母ちゃん:春の天気がいい日で、父ちゃんから「俺、この近所にすごくいい場所があるのを知ってるから、そこに行ってみない?」って誘われて二人で行ったんですよね。道無き林の中を歩いていくと、ポッカリと丘の上に出て、利尻と原野が見渡せたんです。そのとき、「いやあ、いい場所だなあ」って思ったんですよ。そのときの一度きりしか行った事無かったんですけど、移るなら、あそこに移りたいって、考えたんです。それ以外の場所は、思いつかなかったんですけどね。

宿主:俺が旧館を建てているころ、資金がなくなって、近所の牧場でバイトをしていて知った場所なんだ。そこは飛び地のようになっているから、そこの地主さんも使いづらい土地で、雑種地になっていてね。こんな見晴らしのいい場所があるって知ってたら、ここに宿を建てたかったなあって、その頃思ってたんだよ。だから母ちゃんに言われたとき、確かにあそこなら、再出発する地として良いなあ、って思ったんだ。それほど、旧館の地にこだわりは無かったですよ。

宿の新候補地は、いつもお世話になっているIさんの土地だった。Iさんに相談したところ、、Iさんは快く土地を貸すことを承諾してくれた。さっそく雪が降る前に、林の中に道路をつけるため岩盤を敷いた。11月下旬、火災保険がおりるのを確認した後、二人は再建と言う希望を胸に、冬の間は出稼ぎに行くことになった。

母ちゃん:ずっとIさんの家にお世話になることは出来ないので、私は大阪の実家に帰って、実家からアルバイトにいき、父ちゃんは東京の防水屋でアルバイトをしながら、その冬を過ごしたんですよね。

新館建築中の様子

造作中の居間の出窓付近

宿主:昔うちでヘルパーをやっていたTと言う奴が、東京で建物のコーキング、つまり雨漏りを防ぐ仕事を人を使ってやっていたんだ。俺の火災事故を知って、「ジョーさん、大変なときなんだから、うちにアルバイトにおいでよ、俺、出来るだけ給料を払ってやるからさあ!」って言ってくれてね。

母ちゃん:持つべきものは、出世するヘルパーですねえ!

宿主:宿でTがヘルパーしてるときは、俺、Tにお礼程度で一日千円しか払ってなかったのに、コーキングのバイトに行ったら、その10倍以上俺に払ってくれて、安い貸間を世話してくれて、テレビやビデオとか調達してくれて、本当に助かったよ。

母ちゃん:私は、設立されたばかりの小さな会社の電話番に行ったんです。3人しかいない営業マンはほとんど会社にいないし、電話も仕事の話はほとんどかかってこないし、暇なんですよ。何しててもいいって言うんで、建てる宿の設計を一生懸命考えていました。なんだかラッキーなアルバイトでしたよ、私も。

宿主:宿の設計と言えば、1月中に決めないと春の建前に間に合わないからって、大急ぎでやったよなあ。

母ちゃん:そうそう、うちらの商売は、夏に1年間の売り上げのほとんどを稼ぐんで、秋に宿が建ってもしょうがないんですよね。以前増築してもらった建設会社の社長さんに頼んだんですけど、その社長さんがこんな事情だから、「とにかく7月の営業までに間に合うように建ててあげよう」って請け負ってくれて、だけどそのためには「1月中に設計しないと間に合わないですよ」ってことになってね。

宿主:きっと、家を建てるって人は、間取りとかずいぶん考えて、いろいろ研究して建てるんだろうけど、うちらはとにかく突然のことだったからね。正月明けぐらいに、設計士を兼ねてる社長と母ちゃんが東京に集まって、たった3日間で、新しい宿を設計しちゃったんだよな。

母ちゃん:喫茶店だとか、父ちゃんの貸間だとか、安い居酒屋とかで、帳面広げながら、ああでもないこうでもないって、3人で言いながら、よくそんな短時間でこんな大きな家の設計を決めちゃったね、って感じだよね、今考えると。

宿主:何年も宿をやっていたから、前の建物で不便だったこと、良かったことが経験であっただろう。それを生かせたんだろうなきっと。大まかに間取りを決めて、後は建てながら細部を決めていきましょうという、成り行き任せの建設になったけどね。

雪があるうちは、サロベツでは家を建てることが出来ない。3月下旬、基礎工事は雪が溶けるとすぐに始め、4月中旬、近所の人たちを呼んでの棟上式が行われた。二人は焼け残った建物に寝泊りし、製材の仕事を手伝ったのだ。

母ちゃん:ずっと誰かの家にお世話になることも出来ないし、宿に泊まるお金も無いんで、焼け残った部屋に寝泊りしながら、製材の仕事を毎日手伝いに行きましたね。

内装や外装の板を製材する

板を製材する宿主と
手伝ってくれたお天気屋マスター

宿主:建物の外や、部屋の中に板を張りたいと思っていたから、その板を製材する仕事だったんだよね。それは板を機械に通すだけだから、大工さんでなくても素人の俺たちでもやれる。時間が限られているんで、むしろ大工さんは家を建てるほうに回って、俺たちがそういう仕事をした方が、効率がいいからね。

母ちゃん:私にとっては、重い板を持って機械に入れる仕事は、きつかったですねえ。常連さんが見舞いがてら一緒に焼け跡の一室に泊まって、製材を手伝ってくれたりしましたけど。でもまあその頃は、しんどくても家の形がどんどん出来上がっていくのを見ているのはすごく楽しかったかな。

宿主:建てながら、「ここはこういうふうにして」とか、「ここには棚を作って」とか大工さんに言ったんだけど、一般の家と違って、宿ならではのいろんな工夫を施したかったんで、大工さんも手間取った部分がたくさんあったと思うよ。

母ちゃん:7月1日から予約を取ってたんで、最後のほうは、残業に次ぐ残業で、大工さんも本当に大変だったろうって思いますよ。きっと、社長や大工さんたちの心意気が無ければ、ダメだったでしょうね。本当に、ありがたいことでした。

平成4年7月1日、ついに民宿あしたの城は再オープンの日を迎えた。しかし宿が完全に出来上がっていたわけでは無かったのだ。。

母ちゃん:もう残業に次ぐ残業、大変だったんだけど、結局細かい所が完成してないままの見切り発車みたいなことになってしまって、とにかく再オープンして3ヶ月ばかりは大変でしたね。

再オープンしたての頃の居間

じゅうたんもカーテンも
ストーブも何も無かった頃

宿主:毎日工事が続いているような状態だったんで、備品を入れることが出来なかったでしょ。カーテンは無い、じゅうたんも無い、居間の出窓付近にある木のテーブルも無かったですからねえ。薪ストーブも置いてなくて・・、もちろん飾りもないでしょ。空っぽの建物の中に、あるのは寝具だけって状態でしたね。

母ちゃん:建具も入ってなかったから、台所も寝室も外から丸見え。だから2~3日、建具を付けるまで、脱衣所とか、各寝室の扉付近には、シーツを吊るして、ドア代わりにしましたねえ。

宿主:皿とか、食器とかはもちろん用意してあったんだけど、ちょっとした物が無くて、あわてたりしただろ。

母ちゃん:そうそう、牛乳鍋を出そうとして、配膳しているときに、お客さん用の醤油入れや一味が無いのに気がついたりとか、風呂に入ってもらおうとしたら、風呂桶が無かったりとか、当然あると思ってたものが無かったりするんですよね。

宿主:その頃はバブルのまだ残りと言うか、若い人やライダーが大勢旅行に来ていたから、どんどん当日予約とかでも入ってくるんですよ。火事になったことを知っている人も、知らない人もいて、こんな不完全な状態でも、かえって面白がってくれてね。

母ちゃん:お酒だけは、新築祝いだとか何とかでいっぱいあったでしょう。しばらくは、タダでお酒のみ放題。夜は盛り上がりましたねえ。ストーブを置いていなかったんで、レンガの所を記念撮影の場でよく使ってましたね。

宿主:お客さんを泊めながら細かな部分を作っていったので、とにかくほこりやごみがいっぱい出て、大変だったなあ。ベランダの部分や、風除室の部分が完成したのも秋だったしね。

母ちゃん:玄関前も、もともとの土地は、少し傾斜になっていたので、盛り土をしたでしょう。その土が、雨が降ればぬかるんでドロドロ、天気がよくて乾燥すれば細かな砂になって舞い上がって、部屋の中までざらざらして、夕方また掃除をし直す羽目になって、それが大変。玄関前に芝を植えたのは、その土対策が理由でしたけど、建物周りが、なんとなく芝で覆われるようになるには、3~4年かかりましたねえ。

再オープンしたての頃

ベランダも風除室も未完成。
芝も無くむき出しの土だった

宿主:とにかくいろんなことに追われながら、暮らしていたんだけど、秋ごろかな、ある時居間で飯を食いながら、ふと思ったんだ。ここって、すごく景色のいいところだなって。その頃になって、やっと回りの景色を見る余裕が出てきたんだね。

母ちゃん:近所の人に新築披露が出来たのも、10月の終わりになってからでしたものね。激動の1年でしたけど、再建にあたって、こんないい場所で宿をやれるようになって、励ましてくれた人たちや、力になってくれた人たちに、感謝、感謝ですね。

宿主:この地に移れたからこそ、マイナスをプラスに変える事が出来たような気がするよ。ここから見渡せる景色は、俺の大きな財産になったしね。大変なときに、色々励ましてくれた人たちには、本当に感謝しているよ。

じゅうたん、カーテン、テーブル、いろんなものが今の状態になるには、1年ほどかかった。そしてようやく、暮らしが落ち着いた平成5年8月、家族が一人増えたのだ。

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