一冬分の薪は夏の間に用意する
一冬分の薪は夏の間に用意する

炎の見える薪ストーブは、宿主の自慢であり道楽の全てである。だから奥さんは薪ストーブの準備や手入れについて、何も口を出さないし手も出さない。しかしある冬の日のこと、奥さんはついに宿主に聞いてみたのだ。「ねえあんた、まだ3月だというのに、あんな薪の量でこの冬を越せるのかい」宿主はぎくりとして言った。「いや、その、う~ん、かあちゃんでも足りないってこと、わかったかい」奥さんは宿主をにらむ。客室などには補助的に石油ストーブが入っているが、居間などメイン暖房はこの薪ストーブ1台である。宿主の道楽とはいえ飾り程度に置いてあるのではない。薪が足りなくなった、では済まされないのである。「大丈夫だって。子供たちに寒い思いはさせないって」

3月も半ばを過ぎて、いよいよ薪が足りなくなってきた。秋から冬にかけて長期間家を留守にしたので、この程度の薪で足りるだろうと、どうやら宿主は目算を誤ってしまったらしい。薪ストーブではなくお尻に火がついた宿主は、スノーモビルで雑林に入り、倒木などを引っ張ってきては即席の薪にした。しかしそのような薪では、腐っていたり湿っていたりして火力は弱い。

邪魔な木を持って行って!と言われて
邪魔な木を持って行って!と言われて
失敗に懲りた宿主は、雪が解けると精力的に薪集めにかかった。いつも原木を分けてもらう知り合いと連絡が取れないので、森林組合に原木が安く手に入るのか聞いてみたり、広大な土地を持つ近所の牧場主たちに、倒木がないか聞いてみたりした。そのうち「おれんちの山を削ったので、倒した木を持っていっておくれ」と声がかかった。現場を見に行った宿主は興奮して言った。「かあちゃん、かあちゃん、これで1年分の薪が出来たぞ」次の日から1ヶ月の間、宿主はチェーンソーを持って出かけて行った。

いろんな状況の現場
いろんな状況の現場
ある日、宿主に用事が出来た奥さんは、現場を訪れてみた。足元がぬかるんだ地面に、ユンボで根こそぎ倒された木がぐっちゃりと集められている。チェーンソーを手にその前に立つ宿主は、まるでお宝の山を前にしているかのように嬉しそうに笑っている。やれやれ、と奥さんは思った。薪ストーブは暇がある人でないと焚けないけれど、なおかつその人の頭のネジが相当緩んでないと駄目みたいね・・・

これは近所の酪農家が運んでくれた原木
これは近所の酪農家が運んでくれた原木
夏が過ぎようとする頃、宿の裏庭には薪の山が築かれていった。「これでこの冬は安心だね」そんな話をしていたら、突然爆音をとどろかせ、大型木材運搬車が駐車場に登って来た。春に話していた森林組合から、忘れた頃に原木を届に来たのだ。さらに築かれた巨大な原木の山。これだけあれば、2,3年はもちそうだ。なんだか不思議なことに、こんなごろごろした原木の山を見ているだけで、暖かな気分になってきた。奥さんの顔に笑みが浮かぶ。こんなものを見て楽しくなってくるなんて、どうやら私の頭のネジも緩んできたらしい・・・

どんどん増えていく薪の原木
どんどん増えていく薪の原木
旅行者で賑わう季節は終わった。凍てつく冬の朝、宿主はせっせと薪ストーブの耐火ガラスを磨く。よく乾いた良質の薪からゆらゆらと炎が上がる。柔らかで暖かい空気が部屋の中に広がる。自然と人は、薪ストーブの前に集まってくる。穏やかな冬の1日が過ぎてゆく。

部屋に積まれた薪とストーブ
部屋に積まれた薪とストーブ

5千円で1年間の使い捨ての鉄板薪ストーブを使っていた頃は、薪は主に流木を使っていました。流木だと拾ってくればいいのですから、ただですからね。そしてゴミでも何でも燃えるものはストーブで燃やしていました。ところが炎の見える鋳物の高価な薪ストーブを使うようになると、ちゃんとした薪しか燃やさなくなりました。流木は塩分を含んでいるためストーブを痛めてしまうからです。高温になって燃えるゴミもストーブを痛めるから駄目。我が家の薪ストーブは、ちやほやされるええとこのボンで、宿主はかいがいしくお世話をする爺やの様なものです。

追記この薪ストーブにまつわるお話は、1998年に発行された北海道のガイドブック「なまら蝦夷2号」にエッセイとして載せたものです。旧HPにて2001年当時にUPしたものを、写真を入れ替えて再UPしました。