さよなら、おっちゃん

サロベツに帰ってきました。実家のある大阪は連日20度近い気温でしたので、この氷点下の気温に体が慣れるまで、2~3日かかりそうです。

大阪ではのんびりのびのび過ごしていましたが、今回はちょっとさびしいお別れをしてきました。大阪に帰るたび連絡して会いに行っていたお客さんが亡くなっていました。プライベートな友達に会ってしゃべったり飲んだり毎回しておりますが、宿のお客さん関係で必ず会うのは、おっちゃん1人だけでした。

20年ぐらい前から毎年のように野鳥の写真を撮りに来ていたおっちゃん。持病を抱えていたので朝の撮影に出かけると昼間は静かに宿で寝ていたのですが、将棋がとても強くて、宿主は6枚落ちでおっちゃんと対局しても全然勝てませんでした。おっちゃんにしてみれば宿主と将棋をしてもつまらなかったでしょうけど、暇つぶしによく相手してくれていたのでした。

持病が悪化して10年前からは旅行に来れなくなりました。そのうち、年賀状の挨拶もやめるとハガキが来たので、10日ばかりして、体調が悪いの~?と電話してみれば、心配して電話してくれたんは、あんただけやとすごく喜んでくれました。なので、もうじき里帰りで大阪に帰るから、帰ったらおっちゃんの顔を見に行くよ~と約束しました。それから8年ばかり、大阪に帰ると必ず連絡して遊びに行き、半日おしゃべりしていたのでした。

独身であったおっちゃんは、一人暮らしをしていても、介護サービスや家事をやってくれる人が毎日来てくれるようになっていて、〇曜日に来てくれる人はとっても気立てのいい女の人で、財産目当てでもええからわしの嫁はんになってくれと頼んでるんやけど、うんと言わんねん、などと言って笑っていました。病気の話などもよく聞かされていて、いつ発作が起こってあの世に行くか分からん、とよく言っていましたが、そんなことばかり言う人ほど長生きするんやで。また来年来るから、元気でいてや、と言って毎回別れておりました。

今回大阪に帰ってからおっちゃんに電話すると、この番号はもう使われていない、用のある人はこちらの番号へ、と連絡先がアナウンスされていました。いやな予感がしながらも施設に入ったのかなと連絡してみると親戚の人につながって、10月末に亡くなりましたと伝えられました。介護サービスの人が訪れると、すでに亡くなっていたのだそうです。交友関係が全く分からないので、こうして連絡が来る人に伝えているのだとか。

一瞬線香の一本でも…と思ったのですが、生きてる間に毎年会いに行ってたんやから、それが一番やったんや。これでおっちゃん、お別れしよう、と思いました。この世からはおらんようになったけど、民宿あしたの城では、伝説の将棋の先生として生き続けているから。そしてあの世から、あ~正面からクマが襲い掛かって来てるのに、横向いて鉄砲撃っとる、なんて笑って宿主のへぼ将棋を眺めといてちょうだい。さよなら、おっちゃん。安らかに。

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2014年12月4日 | テーマ:民宿での出来事 | コメント(2) |



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