突然の別れ

 昨日は、いつもと同じような平凡な一日になるはずでした。ところが、朝ごはんの後片付けを始めようとしたその時、「Y君が牛舎で重体なんだ、すぐ来て」と言う電話が入り、日常は一変してしまいました。宿主はすべてを投げ出して、隣のIさんの家にかけつけました。

 救急車が走り、宿主がその後ろを車で続いて走って行くのが見えました。私はもう仕事が手に付かず、連絡が来るのをただ待っているだけでしたが、1時間後にかかってきた電話は、Y君が亡くなった悲しい知らせでした。不慮の事故でした。

 隣のIさんは、宿主がここで宿を始めるにあたり、すべての面で支えてくれた恩人でした。その息子のY君は、宿主がサロベツに来たときまだハイハイをしていた赤ちゃんでした。私たちが結婚するとき、中学校の制服を着て、ちょっと渡すには大人すぎるんだけど、とテレながら、花束をくれました。Y君の結婚式には、うちの息子が、花束を渡しました。奥さんと8歳から2歳までの4人の子供を残し、34歳の若さで、Y君は逝ってしまいました。

 Iさん夫妻は、旅先で息子の訃報を受け取りました。いつも牛舎の仕事など大変だから、こんな時はゆっくりしておいでと、旅行に送り出してくれたそうで、急いでこちらに帰ってくるときのIさん夫妻の気持ちを考えると、切なかったです。

 夜、地区の人たちがIさんの家に集まって、私も子供たちと行きました。事情がよく分からない無邪気な子供たちの姿が、余計にみんなの涙を誘いました。旅先から帰ってきたIさん夫妻にも、若奥さんにも、何をどう言っていいかわからず、さよならも言わず突然遠いところにいってしまったY君の前に座ると、涙しかでてきませんでした。

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2009年5月30日 | テーマ:暮らしの中で | コメント(2) |

コメント

コメント

  1. Kinsan1091 より:

    元浪速の文学少女だったいとはんの奥様へ。
    バイクの古里浜松のキンさんです。ご無沙汰して恐縮です。
    お隣のIさんの御子息はホンマにお気の毒でしたね。
    僕は初めてお邪魔した時、お隣でトラクタで作業中の親爺っつあんに「あしたの城への道をおたずねしたのがIさんでした。ご冥福をお祈り申し上げます。

    今日は120名参加の中学同窓会の幹事長剣司会進行役で「アーしんど」となり、3次会までやって今帰宅したところです。昼間、愛知県西尾市在住の元務めていた会社の後輩が
    7月上旬にお邪魔させていただく旨予約が入ったかと存じます。
    ハーレーへ乗っているツーリング仲間ですが、奥様と車で稚内・知床・襟裳と回る途中でお訪ねしたいとのこと。
     原生花園、幌延ビジターセンター、コウホネを教えてあげてくださいませ。
    それと奥さんに稚咲内漁港からの夕日を見せてあげて下さいませ。
    喫茶おてんき屋ノマスターによろしくね。
    宿主に、先月眼鏡橋近くに宿を取り、稲佐山の夜景を見に行ってきたとお伝えくださいませ。
    とほ宿のHP拝読しました。さすが元浪花のコイさんがんばりましたね。
    民宿のオネエ様、おおきに!
    ++++++++++++++++++++++++++++
    現役時代中国で3年半ともに苦労した仲間たちと有限責任事業組合を立ち上げました。
    本部を広島に置き、函館、つくば、東京、浜松、大阪、に支部を置き、半分ボランティアで、日中ビジネスの橋渡しを始めました。
    軌道に乗せるまで超多忙でしたので、コメントをサボってしまいごめんなさい。

  2. あしたの城 より:

    お久しぶりです。

    Iさんに道を尋ねたことがあったのですかぁ。事故とはそう言うものと思っても、ご遺族の気持ちを考えると本当につらいですね。。

    今年はとりあえず順調に季節は移り変わっているので、7月上旬に来られる後輩の方は、原生花園にエゾカンゾウの花がいっぱい咲いているのを見られればいいですね。
    天気が良ければ、もちろん夕日ツアーへお連れしますよ。

    キンサンも、ますますお忙しそうですが、新しく始めたお仕事、頑張ってくださいませ!




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