30年たって仰臥漫録を読む

 今日は朝から晩まで、読書三昧でありました。というのも、「坂の上の雲」のドラマを見ていて、ふと、高校生のときに国語の先生が、正岡子規の話をして、病床で書いた日記の話をしていたのを思い出し、昨日図書館で三つの随筆を集めた本を借りてきたのでした。

 授業で聞いたときは、さして読みたいとも思わず、その後30年間、まったく思い出さなかったのですが、「病床六尺」読み出すと止まらなくなり、今は「仰臥漫録」を読んでおります。先生が言っていた食べた献立をずっと書いてあるのは「仰臥漫録」の方だったのね。

 子規の胸中や、献身的な母や妹の看護など、今読んであれこれ思うことは、高校のときに読んだのでは、思えなかっただろう。ああ、それにしても、脳の奥底に眠っている記憶が、ふあっと呼び戻されるときがあるんだなあ。

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2009年12月23日 | テーマ:暮らしの中で | コメント(2) |

コメント

コメント

  1. 赤壁周庵 より:

    「仰臥漫録」での子規の食べっぷりは凄いですね。
    こんなに食いまくっていたら、ワタシだったら即、糖尿病になりそう、といつも思います(実際、二十代や三十代の頃ならともかく、五十代にもなってしまった今なら間違いなく糖尿になるでしょう)。
    もっとも子規から見れば、おまえさんは朝になったらきちんと床から起き上がって行きたいところ(とは限らないけど)に行っているじゃないか、それとも俺と交代するか?ということになるんでしょうね。
    病臥してなおあれだけ食べるのは、楽しみではなくむしろ苦しみだったのではなかろうか、と思います。それでも子規をして食うことに駆り立てたものは何だったのだろうか、折に触れて考えることはあるのですが、未だにはっきりと言葉に表せるような考えに至らないでいます。

  2. あしたの城 より:

    これって、寝たきりの状態で本当に食べることができたのかな?と思うぐらいの食べっぷりですね。
    世の中がひっくり返って、西洋から新しいものがドッと入ってきて、きっと見たいことやりたいこといっぱいあったろうに、痛みにのた打ちまわりながら寝ているしかない状況を想像すると、今の時代に生きている自分にとっては、想像するだけで、分かってあげられないことなんだろうな。

    もうひとつ思いをめぐらせることは、看病した母と妹です。自分たちはほんの僅かなおかずで食事をすませながら、子規にはあの時代にしては、かなりたくさんのおかずを作って、珍しいものもいっぱい食べさせているのですよね。介護用品だって、なかった時代に、しもの世話も大変だったろうなあ。子規は看病に不満で悪口も書いているが、一方で感謝もしていて、陰で支えた人たちのことも、気になりました。




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