原始砂丘林遊歩道海岸への出入り口

 夏に原始砂丘林の地質調査をしていた先生と学生さんが、秋にもやってきました。私はいつも、道々444号線から原始砂丘林に入って海岸に抜ける終着地点まで行きたいと思っているのですが、先生たちは、車で海岸を進んで、海岸に抜ける所から原始砂丘林に入って、その近辺を調査しています。

 道標があるわけではありませんから、いつもどこが海岸に出る道なのか、道々106号線を走っていても分かりませんでした。それで今日、先生たちが出かけた後、先生たちが置いてある車を目印に、海岸に抜ける出入り口を探しました。そして赤いテープがはってある木を見つけたので、そこが道へつながっていくところに違いないと見当をつけました。

 宿主に車で海岸の出入り口まで送ってもらって、そこからのんた君と444号線に抜けるよう歩けば、片道だけですむので、前回のようにのんた君が途中でばてることはないと思うのです。だからどうしても、海岸の出入り口の手がかりを知っておきたかったのでした。

 原始砂丘林はけっこう面白い地形をしているそうで、砂丘林、湿原、砂丘林、湿原と、海岸に平行に交互に列になっています。先生たちは、土を採取して成り立ちの歴史を調べているんだとか。今回は長沼にボートを浮かべて、沼のそこの土も採るんだとか。

 あ~、なんか面白そう!なんて素人が勝手にくっついていって邪魔をしてはいけないので、話を聞くだけです。前回のんた君がばてたときは、もうちょっとで海岸に出るところだったと思うのだけど、どうだったんだろうなあ。

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2009年9月17日 | テーマ:民宿での出来事 | コメント(4) |

コメント

コメント

  1. 自由と創造 より:

     10/5,6と連泊しました(お世話になりました。)。そして、丸二日間かけて自転車でサロベツを回り、そのうち最初の日の午後半日をこちらの砂丘林で過ごしました。長沼の広い水面とそれをふちどる草黄葉のヨシ原が午後の日差しにきらきらしてとても良い雰囲気です。水面にキンクロハジロとカイツブリが浮かんでいました。
     ちなみに、昔の地形図には海岸から大小二つの沼の間をすり抜けて奥に入っていく道がありますね。○ーグル・アースからこの道が見えるので入口はすぐに見つかりました。
     話は変わって、小生にとってサロベツの一番のお気に入りはパンケ沼の北の木造の展望塔です。ここからは遠くパンケ沼まで一面にヨシ原が広がっています。10月の風の強い日に塔の上に立って、黄金色のヨシの海をざわざわと波立て揺らしながら風が通り過ぎていくのを見ているのが大好きです。木造の塔が風にゆらゆら揺れるのは少し怖いですが・・・。

  2. あしたの城 より:

    秋は虫もいないし、砂丘林でゆっくり過ごすのは、私も好きです。原野の広大な風景と、砂丘林の森に囲まれた風景と、サロベツは二つの表情がありますものね。
    ところで、まったく話は違いますが、私の卒業した高校は「自由と創造」がモットーでした。「創造」がなく、「自由」だけ…、とも言われていましたが、そんなことを懐かしく思い出してしまいました。

  3. 自由と創造 より:

     実は「自由と創造」という名前は偶然ではありません。
     「あしたの城物語」を楽しく拝見しました。その中の記事を読んで「もしや」と思い、4/6のブログにある「玉串川」で確信しました。卒業生ならだれでもわかります。
     ちなみに、小生は玉串川のほとりY球場の西にある小学校に通っていました。あの、風の通らない、居心地の悪い円形校舎は今もあるのでしょうか。
     今回はサロベツに関係のない昔話ばかりで申し訳ありません。

  4. あしたの城 より:

    「自由と創造」と言う名を見たとたん、同じ高校の卒業生かな、と思い、遠まわしなコメントの返事を書き、何かそのことについてまたコメントを入れてくれるのを、楽しみに待っていました。

    おまけに、Y球場の西にある小学校へは私も6年間通いまして、あの円形校舎で1年と2年のときを過ごしました。今は児童数が減ってしまい、円形校舎は残っているものの、教室としては使っていないそうです。

    普段思い出すことはなくても「自由と創造」という言葉には、ハッとしますね。娘の高校の校則や生活指導が厳しいのをみると、いかに自分たちが自由であったか、それは自己責任が伴うのですが、しみじみと懐かしむのでありました。




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